立教大学 准 教授 事件

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レバノンのパレスチナ難民キャンプに掲げられたIS(イスラム国)の旗。REUTERS/Ali HashishoIS(イスラム国)に参加していた疑いのある、バングラデシュ出身で日本に帰化した立命館大学の元准教授が、イラクで囚われているという。5月20日、バングラデシュのメディア各社が同国情報機関からの情報として報じた。この人物はモハメド・サイフラ・オザキ容疑者。バングラデシュで生まれ育ったヒンズー教徒で、2002年に日本に留学。その後イスラム教徒に改宗した。さらに日本人女性と結婚して日本国籍を取得。立命館大学の准教授として生活していた。ところが2015年、家族とともに蒸発同然で日本を出国。ブルガリアに渡った後は行方がわからなくなった。それから数年を経た2019年3月、シリア東部に残っていたIS最後の拠点で、他のバングラデシュ人戦闘員とともに投降したとされ、その後、イラク北部のスレイマニヤに身柄を移送された。日本人の妻と子ども2人はすでに空爆で死亡しており、残された3人の子どもはすでに日本に送還されたとの情報もある。オザキ容疑者は日本国籍を取得しているから、当然、日本人である。言ってみれば、ISに参加した初の日本人である可能性がある。ニューヨークのモスクで礼拝するイスラム教徒たち。REUTERS/Kevin Coombsオザキ容疑者の名前が大きく報じられたのは、2016年7月にバングラデシュの首都ダッカで発生したレストラン襲撃テロの後だった。日本人7人を含む22人が殺害された事件だが、バングラデシュ捜査当局の調べで、オザキが犯人グループの関係者の1人として浮上したのだ。現地の報道によると、オザキはバングラデシュ人の若者をイスラム過激派に勧誘する役割を担っており、IS志願者をいったん日本に入国させ、それからトルコ経由でISに送り込む工作を行っていた疑いがあるという。ただし、バングラデシュのメディアには不確かな情報も多く、詳細はいまだ不明だ。バングラデシュから日本経由でトルコに要員を送り込むという手口は、日本での滞在実績があったほうがトルコに入国しやすいということらしいが、それだけ渡航経費が余計にかかることになる。仮にそれが事実だったとしても、バングラデシュからトルコに渡るにはもっと安価なルートがあり、しかも必ずしも不可能ではない。ISが日本経由という非効率的な工作ルートを、少なくとも大がかりに組織しようとしていたとは考えにくい。それより、ISの従来の方針から考えれば、日本にオザキのようなIS賛同者がいるなら、彼の周囲の日本人を仲間に引き入れることのほうが価値が高い。日本旅券(パスポート)保持者だからである。ISでは、欧米でのテロ作戦に参加しやすい西側先進国の旅券保持者が優遇されていたのだ。Advertisementニューヨーク市警のテロ対策チーム。2018年10月、CNNに爆発物とみられる郵送物が届いた事件で出動。REUTERS/Kevin Coombsだとすれば、オザキ容疑者に日本国内でIS支援グループを作らせたほうが成果を得られるはずだ。ところが、彼は日本ではテロ支援のための人脈組織化を試みた形跡がない。オザキの日本での周辺人脈については、すでに日本の公安警察が徹底的に捜査しているにもかかわらず、捜査線上に浮上していないのだ。結局、彼は出身国バングラデシュの過激派とのつながりで活動していた。ISはそれぞれ地元国での活動を奨励しているが、彼の視線は日本ではなく、あくまでバングラデシュだったのだ。もちろん日本でのテロを画策した形跡もない。このことからわかるのは、日本国籍を取得し、大学准教授という社会的に権威ある肩書きを得た彼をもってしても、日本でイスラム過激派を組織するのは難しかったということだ。欧米諸国と違って、日本はイスラム系移民社会がそれほど大きくない。オザキ容疑者のような特殊な例外はあるとしても、いわゆる「ホームグロウン・テロリスト」が組織されるような環境ではないということである。バングラデシュのメディア各社の報道には裏づけが乏しい内容も多く、オザキ容疑者の足跡の詳細は今後の調査を待たなければならないが(イラクのクルド人部隊が拘束しているとのことなので、いずれ近いうちに日本のメディアが直接取材することが予想される)、日本にいながらいかに過激化していったのかなど、まだまだ不明なことは多い。日本人の記憶にも新しい、ISとみられる武装勢力に殺害されたジャーナリストの後藤健二さん。悲劇を報じるテレビニュース。REUTERS/Yuya Shinoところで、オザキ容疑者は日本人唯一のISメンバーの可能性があると前述したが、日本人のイスラム過激派としても初の事例である。過去にシリアでイスラム系の反体制派部隊に加わった日本人はいるが、テロを容認するような過激派は初めてだ。では、これまでイスラム過激派が日本にいたことはまったくなかったのか?と言うと、そうではない。判明しているかぎりで過去に4人、正真正銘のイスラム・テロリストが日本に滞在していたことがある。まず、1980年代後半に世界各地を飛び回っていたクウェート育ちのパキスタン人であるハリド・シェイク・ムハマドが、1987年に3カ月間、日本に滞在し、静岡県の建設機械メーカーで削岩機の技術研修を受けていた。彼は1993年にニューヨークの貿易センタービルで爆弾テロ事件を起こし、その後、アルカイダに合流して2001年の9.11同時多発テロの首謀者となる大物テロリストだが、1987年当時すでにアフガニスタンでイスラム・ゲリラと接触していた。日本での研修もおそらくアフガニスタンでのゲリラ活動を前提にしてのことだったろう。しかし、ムハマドは日本で仲間を作るような動きは、まったくしていない。日本での研修も、アメリカの大学を卒業したエンジニアとして、途上国支援NGOのプログラムの一環で受けていた。彼が考えていたのはあくまでアフガニスタンでの活動であり、日本での活動ではなかったのだ。イラク軍によるIS掃討作戦。Photo by Martyn Aim/Getty Images2人目は、やはりアルカイダの幹部だったムハマド・ハリド・サリムというスーダン人だ。彼は1995年に訪日し、秋葉原で大量の無線機を購入している。アルカイダの装備調達工作そのものだが、彼もまた、日本そのものにはまるで興味がなかったようで、日本国内での組織活動の形跡は一切ない。3人目は、リオネル・デュモン。元フランス軍兵士で、1990年代半ばにボスニアでイスラム武装勢力の外国人部隊に加わっていた人物だ。その後、出身地であるフランス北部の町ルーベで、元ボスニア義勇兵の仲間たちとイスラム過激派組織「ルーベ団」を結成。逮捕されるが、1999年に脱走し、消息を絶つ。その後、数度にわたり日本を訪問。主に新潟県に住んで、中古車販売会社で仕事をしていた。2003年9月に出国し、同年12月に滞在先のドイツでテロ計画に連座して逮捕される。そこで日本滞在歴が発覚し、やがて日本のメディアでも大きく報じられた。日本滞在中、日本の警察当局からは完全にノーマークだった。のちに判明したところによると、デュモンは日本滞在中、身分を偽装して在日イスラム系移民社会に積極的に入り込み、人脈を広げていた。しかし、その人脈をテロ組織化するような動きはまったくなかった。日本へは逃亡先として来ており、その中で欧州でのテロのための資金稼ぎをしていたものと思われる。イラク軍によるIS掃討作戦。Photo by Martyn Aim/Getty Images最後の1人であるゾヘール・シューラは、フランスに長く住んでいたアルジェリア人で、おそらく前述のデュモンの日本入国を支援した人物だ。彼も元ボスニア義勇兵で、デュモンはその時の戦友仲間である。彼は1990年代後半の一時期、マレーシアに滞在していた。同国は当時、ほとんどのイスラム圏の国籍者をビザなしで受け入れており、ノーチェックで滞在できたのだ。マレーシアから日本に渡ったのは、1999年だった。シューラは2000年には出国し、翌2001年にボスニアで逮捕された。時期的にはデュモンより先に日本に滞在している。 彼の場合も日本警察はノーマークだったが、欧州での逮捕で日本滞在歴が発覚した後、公安警察がその日本での足跡を徹底的に洗い直している。その捜査内容は2010年10月、警視庁公安部外事3課の大量の内部資料がネットに流出したことで明らかになった。同ファイルに記されたシューラの捜査記録によると、彼は日本滞在中、東京・麻布のモスクを拠点に、盛んにイスラム教徒たちのオルグを試みていたとのことだが、結果的に失敗している。やはり日本でのイスラム過激派ネットワークの組織化は難しかったようだ。判明しているかぎりにおいて、以上が日本にイスラム過激派細胞が滞在していたすべてのケースだ。この他にも何度かイスラム過激派の活動の噂が報じられたことがあるが、それらはすべてガセ情報だったと筆者はみている。上述のサリムやムハマドのように、日本には筋金入りのテロリストも滞在していた事実がある。しかし、いずれも日本でテロを計画したこともなければ、組織化に成功したこともない。このご時勢だから、日本の警察当局も警視庁外事3課を中心に、国内に不穏な徴候がないか徹底的に捜査しているが、テロやそのための組織化が行われているという情報は皆無だ。繰り返しになるが、幸いなことにこれまでのところ、日本にはイスラム過激派組織の芽が育つ環境は生まれていない。2020年には東京五輪が控えており、徹底した警戒体制は今後も必要だ。しかし、だからこそ今回のオザキ容疑者のケースのような場合には、(とりわけ本人の供述が出てもいない現段階で)不確かな情報をもとに「日本にもイスラムテロ組織との関わりが?」などといたずらに不安を煽ったりせず、冷静に事実を見極めなければならない。黒井文太郎(くろい・ぶんたろう):福島県いわき市出身。横浜市立大学国際関係課程卒。『FRIDAY』編集者、フォトジャーナリスト、『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。取材・執筆テーマは安全保障、国際紛争、情報戦、イスラム・テロ、中東情勢、北朝鮮情勢、ロシア問題、中南米問題など。NY、モスクワ、カイロを拠点に紛争地取材多数。SponsoredSponsoredSponsoredSponsored

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